2010年08月09日

『オペラ』シリーズSS 「人狼/前編」

・この作品は当ブログ読者様向けにおこなったアンケート結果に添って書かれたオリジナルショートストーリーです。

・拙書、『オペラ』シリーズの初期の時間軸のお話になります。

・転載、印刷しての配布などはお断りいたします。

・前編です。後編はまだ書いておりません。お仕事優先になりますので、気長にお待ち下さい。

以上をふまえていただいたうえで、「続きを読む」からどうぞ。



 狼が追ってくる。

 深い森の中を必死で歩く自分。その後ろを、狼が追ってくる。
 銀色の美しい毛並み。静かに輝く青い瞳。
 柔らかな足の裏が腐葉土を踏む。

 静かに静かに、ただし、どこまでも諦めることなく。

 狼が追ってくる。


 □■□


「その昔、俺が東方でいけすかないガキをやってたころ」

 カナギが不意に語り出したのは、夜も更けたころだった。
 カナギと詩人、ミリアン。
 誰もが誰かに追われる身であったから、まともに街で宿を取れることは多くない。
 今日は屋根と暖炉と寝台と共に過ごせる希有な夜である。

 街外れに見つけた宿はすっかり傾いた木造で、看板以外ほとんど雪に埋もれかけていた。腰の曲がりきった片目の主人は、カナギたちが扉を一歩入ったその瞬間から床を見つめ始め、一度もカナギたちの顔をはっきり見ようとはしなかった。
 奇妙な三人連れが一応金を持っているのだけを確認し、あとはつぶれた声で『部屋と火だけならある』と言って薪の束を押しつけてきた。
 ここは少額の宿賃だけ払えば、どんな犯罪者でも泊める類の宿なのだ。
 カナギたちにとっては理想的な休息所である。
 
 外ではしんしんと雪が降っている。
 雪が重く積もる音すらしそうな深い夜に、カナギは宿の床に直接座りこんでいた。
 お世辞にも綺麗とは言い難い小さな部屋だ。
 雪と炎の匂いがする。
 象牙色のカナギの肌に、炎の生んだ光と影が交互に躍る。
 彼の瞳は酷く鋭く、病的なまでに虚ろだった。
 暖炉の炎を見つめながら、まったく別のものを見つめているせいだった。
 カナギは呪いによる痛みを噛みつぶした無表情で、東方剣を抱えたまま言う。

「俺の故郷の都市では、砂原の敵対種族との喧嘩が絶えなくてな。森の中に幾つも砦を築いていた。東方の森を越えて攻めこんでこよう、なんてことを考えるのはいつだって砂原のばかどもだけだ。あの帝国だって、東方の森に踏みこんじゃならないってのは一応知ってる。あいつらは合理的だからな。……とにかく、俺たちは砂原の奴らに対抗するために、子供のころから戦うことを教えられた」

「いざとなればありとあらゆる民が剣を持ち、森に潜んで外界からの侵入者に対抗する。君たちは森に棲む星の数ほどの命の生き死にの中に身を浸すがゆえに、戦いとなれば血を流すことを厭わない――そうですね?」

 傍らで歌うような声がする。
 カナギは視線だけで横を見た。それ以上身体を動かすのはひどくだるく、痛みを伴う行為だったからだ。
 視界の隅では美しい男が笑っている。
 暖炉に向けて置かれた粗末な椅子に座って微笑み、膝の上の弦楽器を真っ白な指で撫でている。その所作のひとつとっても、ひとを陶然とさせる魔性の美をまとった男。

 彼は、カナギがソラと名付けた名無しの詩人だ。

 彼はなんの感情も載っていない笑みを浮かべたまま、美しい爪の先で弦を弾く。外よりは多少マシな程度に温まった部屋の空気を、淡い音が震わせる。

「東方は約束の地、その土地の豊潤さに惹かれ、誰もが一度は望む土地。しかし火と鉄を持ってのぞむ者は、けして東方の核心に触れることはないのです。それは奪えぬ場所、それは崇めるべき場所、それはもっとも礼儀正しく、不自由を不自由と思わぬ、すなわち自由を発明したことのない者たちのみが棲まう場所」

 詩人が旋律をまとわせて語った内容に、カナギは淡い失笑を漏らした。
 こいつはまったく、いつでも聞いたようなことを言う。
 この脆弱そうな身体を持った詩人が、東方の森になど来たことはないだろうに、まるで見たようにすべてを語る。
 苛立つ。
 それと同時にどこか安堵もするのが不思議で、不愉快だった。

 カナギの返事がないのを気にした様子もなく、詩人は重いまつげを伏せて続ける。

「――東方の民は森と共存していると聞きます。森からの恵みを慎重に受け取り、けして望みすぎることがないと。その結果が特殊に発達した文化、文明であり、また、それが他国を引き寄せる蜜となる。たとえば君の、その剣のように。東方剣は帝国の剣とは段違いのしなやかさと強度を持つと言います。本来ならば、誰もが欲しい技術でしょう」

「……私も、欲しい」

 背後でぽそり、と声がしたので、カナギは今度は肩越しに振り返った。
 部屋にひとつだけある粗末な寝台に横たわった少女と目があう。
 赤に近い紫の瞳を持った小柄な少女は、眠気の欠片もない表情でじっとカナギの剣を見つめていた。

「……やらないぞ」

「ケチ」

 警戒した様子のカナギに、ミリアンはぼそりとつぶやいて掛布を口の位置まで引き上げる。
 元暗殺者である彼女は、十代半ばの平均的な女性が愛するいかなるものより、刃物や武器を愛する傾向があった。
 
 この剣をやればどれだけ大喜びするのだろう、と思うとカナギはなんとも複雑な気分になる。
 そんなカナギを横目に、詩人は緩やかな笑みを浮かべてミリアンへ声を投げた。

「今さらですよ、ミリアン。彼は偉大なる倹約家です。倹約家と言って思い出すのは三百年ほど前、古王国のひとつに君臨した倹約王ニッカバイスですが、彼のおかげで金箔を薄くのばす技術は格段に飛躍したという伝説が――」

「いらん! お前のばか話は気が休まらないんだよ、いちいちなんか言わなくちゃならない気になって!」

 カナギが怒りに震えて叫ぶと、詩人は意外なほどあっさり口を閉じた。
 彼は人形じみた美貌でカナギを見つめ、そのままそっと琥珀の瞳を細める。

「君の身体に障るというなら黙りましょう。刃に落ちる、銀の光の君。――子供のころの君は、もう少し傲慢だったのでしょうね?」

 見透かしたような台詞だ。
 見透かしたような目だ。
 ちっとも黙ってなんかいないじゃないか、そう思いながらカナギは暗い灰色の瞳で彼をねめつけ、のろのろと口を開く。

「ああ。傲慢だったな。それで、弱かった。自分がものすごく強いと思っていた。仲間と居ればそれだけで強くなるような気がしてた。俺は滅多なことじゃ死なないし、俺が駄目になったら、そのときは俺以外の誰かがどうにかしてくれるんじゃないかと思ってた。もちろん、そんなことはなかった」

 淡々と、痛みを紛らわすだけのために語られる言葉が辺りに流れ、詩人は今度こそ沈黙したまま膝の楽器をつまびいた。
 そうするのが一番カナギの神経に障らないのだと、本当は知っているのだろう。
 たどたどしい楽器の音の間をすり抜けるように、カナギは語る。

 それはまだ彼がミリアンほどの歳だったころ。

 彼は森にいた。
 仲間は死んでしまったか、死につつあった。

 カナギは歩いている。

 次の砦まで行けば、誰かが助かるかもしれない。

 ――少なくとも、自分だけは。


 □■□

つづく。

posted by 栗原 at 08:59| Comment(9) | TrackBack(0) | おまけSS | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 オペラシリーズの大ファンだったので、今日、偶然にこの物語を読むことが出来てとても嬉しいです!
 もう二度と、ソラとカナギの喧嘩じみた掛け合いはお目にかかれないと思っていたのに。
 シリーズの中でも最後まで詳しくは語られなかったカナギの少年時代。幻想的な世界の続きを、早く読みたくてたまりません!
 いつかこの続きが読めることを願います。
Posted by 涼風玲 at 2011年02月26日 03:49
こんにちは、コメントありがとうございます。
このお話は最後のオチまで全部出来ているので、書けばすぐなのですが、書く時間が取れないという困った状況でして(黙)。けれど来月中くらいにはどうにかしようと思っています。
あくまでおまけ的なもので申し訳ありませんが……たまに、忘れたころに見に来てくだされば幸いです。
Posted by 栗原 at 2011年03月19日 13:48
お返事を下さるとは思いませんでした。
そうですよね。レッド・アドミラルもこの前から読み始めました。沢山の世界を書き分けるのはとても大変だと思います。
続きはいつまででも待ちます(>_<)
頑張って下さい!
Posted by 涼風玲 at 2011年03月20日 03:46
オペラシリーズの話がまた読めるなんて
とてもうれしいです(涙)
カナギやミリアン、ソラにあえるなんて!
もうあえないと思っていたので感動しています。栗原ちひろ先生ありがとうございます!
高校生の時オペラカンタンテを読んでファンになってからずっと栗原ちひろ先生の作品を追っかけて読み続けているんです(中毒)
これからもずっとずっと応援しています!!
栗原ちひろ先生大好きです。
Posted by 深神 鏡 at 2011年05月29日 21:12
40歳もだいぶ過ぎた主婦です。オペラシリーズはかなり気に入った作品で、3人の子どもたちも大好きです。特に言葉遣いのおもしろさに惹かれています。続きを楽しみにしています。
そのうち、「その後の皇帝陛下」のストーリーも読みたいので、よろしくお願いします。
Posted by 並木千晶 at 2011年06月17日 21:43
>深神さま

こんにちは、オペラの二巻から読んでくださっていたのですね。ありがとうございます。
オペラシリーズはビーンズ文庫の中でも、高校生、大学生以上の方に多く読んでいただいた作品だったように思います。
愛と応援に心からの感謝を!
これからも頑張っていきますね。

>並木さま

こんにちは、オペラシリーズを読んでくださってありがとうございます。
つたないデビュー作ですが、大人の読者様にも恵まれたお話だったと思います。
おまけ小話、途中でとまっていて申し訳ございません。
仕事の合間を見て完成させようと思っています。
小説の終幕以降の話はこういった形では書かない、という自分縛りがあるので、「その後」は無理かもしれませんが……まずはこちらの完成ですね。
がんばります。
Posted by 栗原 at 2011年06月18日 13:00
お返事いただけてとてもうれしいです。無理なことを要求してすみません。こうしてまた私たちを楽しませてくださるのは感謝なことです。応援しています。
Posted by 並木千晶 at 2011年06月18日 23:29
お返事ありがとうございます!(滝汗)
自宅にネット環境がないので、
お礼をすぐ返せなくてすみませんでした。
パソコンどころかケータイすら持ち合わせていないアナログ人間なんです。(土下座)
先生の作品は深神の強力な元気の素です!
がんばり過ぎてお身体壊さないでくださいね。(懇願)
Posted by 深神 鏡 at 2011年06月22日 13:57
初めまして。
栗原先生のオペラシリーズは素晴らしく強烈でした。
六使徒シリーズ、とても楽しみにしているので出版社に電話しました。
これからも応援しています!
Posted by 雲馬 at 2012年11月15日 21:13
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